フダンヅカイ

うまいだけの写真に魅力を感じない

(2013-01-23)

フダンヅカイのオープン時から
ずっと連載をしていただいている
宮坂由香さんのフォトエッセイ「saco-foto」。
連載を続けているうちに見てくれる方が増えて、
毎週月曜日更新なので最近は月曜日に
ぐっとアクセスが増えるようになりました。
フダンヅカイの人気コンテンツの1つです。

宮坂さんの写真の魅力は、
人が映っていなくても人がいるように見えるところ。
すごくざっくりした説明になってしまうのですが、
一言で言うとそうなるんです。
実際に「saco-foto」をご覧いただくとわかると思うのですが、
教室の写真とか、スピリチュアルな話をするつもりではなく
「ここで生徒が勉強していたんだな」というのが
伝わってくるというか、人が見えるような写真です。

逆に、ただうまいだけの写真は、僕は苦手です。
カメラ、レンズ、画質、ピント、構図等が
先に頭に浮かぶ写真は良い写真ではないと思っています。
そういった写真には、
例えば写っているのがだったとしても
「上手な写真を撮った私」しか写ってなくて、
何の魅力も感じないのです。

どうしてこういう違いを自分は感じるのだろう、
ということをずっと考えてきたのですが、
最近わかってきたこととして、 写真を撮った人自身が
心が動いたものを撮りたくて撮っているのか、
それとも自己顕示のために撮っているのか、
という違いを知らず知らずのうちに
見つけてしまっているようなのです。
そして、そこから好き嫌いを判断しているようです。

書いていて気づいてきたんですが、
これ、コンテンツでも同じですね。
今この文章はパソコンで書かれているわけなのですが、
実際のところ、書いているのは人です。
すっごい基本的というか当たり前のことなんですが、
これを意識するとしないとでは
同じテーマや話題を取り扱っても
読みやすさやわかりやすさが違ってくると思います。

写真の話をしてたつもりが、
いつの間にかコンテンツについての
話になってしまいましたが、そんなこともありますよね。