フダンヅカイ
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もくじ
はじめに 元気のもと
第1回 量が質を生む
第2回 なんでこれをやろうと思ったの?
第3回 日本で閉じている必要がない
第4回 私がいちばん楽しんでる
第5回 クリエイティブ・コモンズ
第6回 イノベーションをどう作っていくか
第7回 早く利益を出さなきゃいけない
第8回 結びついた時のワクワク度

第1回 量が質を生む

加茂 クリエイティブの流通を掲げて
今まではネットに流通の場を設けていたロフトワークが、
今リアルの場にもクリエイティブを
流通させつつあるということにすごく興味があって、
今日はお話をお伺いしたいなと思っています。
お時間いただきありがとうございます。

まず、ロフトワークがすごいなと思うのが、
登録しているクリエイターの方々の作品の質が
常に高いままできていることで。
ただ最初のころはちょっとサイトが重くて、
僕が田舎に住んでいた時期は
回線が遅くて見るのが大変だったんですが。
すいません(笑)
加茂 質については、特に狙ってクリエイターを
集めていたわけではないんですか。
いま面白いなと思って聞いていたのが、
私たちは質を高めないというと変なんですけど、
「質は量が決める」というのを
実はモットーにしているんです。

多くの会社は、
いかにクリエイティブの質を高めるかってことを
ものすごく優先されると思うんですよ。
でも私たちが最初に会社を作った時の問題意識は、
「誰が何を持って質が高いとか低いとかって言えるんだろう」
ということで。

世の中がどんどん変化していく中で、
「私が質を判断できます」という人って
本当に存在するのかって思ったんです。
何がクリエイティブで何がクリエイティブではない、
良い悪いっていうのはもちろんある程度はあるけれども、
誰かが決められるものではないと思っていて。
では大切にするのは何かとなったときに、
量を追求しようと。

10個の選ばれたクリエイティブを見せるより、
選んでないけど1万人を関わらせた方が
クリエイティブの本当の価値を生み出せるんじゃないか。
だから、質、質、質、といって減らしていくよりも、
量が質を生む。

必ず私たちは量って決めているんですよ。
完成させてある一定になったら出せるといった
日本的な思考に対してアンチがあるんです。

クリエイティブはどんどんどん出していきながら、
進化して変化していくものであって、
ある一定のここまでいったらいいです、
プロです、プロじゃないですという
そんな線がないっていうのがロフトワークにはあるんですよね。
加茂 たしかにロフトワークに掲載されている
作品の量はすごいですもんね。多すぎて見きれないくらいで。
サイトはこちら

登録しているクリエイターも、
コーポレートサイトを見たところ16000人もいるそうで。
今はそれより多くなりました。
加茂 それはすごい。

ロフトワークのサイトを拝見していると、
だいたい絵を描いている人が多いなというイメージがあって、
あと面白いのが、ウェブサイトのデザインをしている感じの人が
あまりいないところです。

だいたいクリエイターサイトって、
ウェブサイトを作っている人の
ポートフォリオサイトになるじゃないですか。
一方でロフトワークは「作品」をあげている人が多くて、
そこが楽しいんです。この人会ってみたいなとか。
そう思える作品に出会えるサイトです。
嬉しいですね。
ただ、今はプロダクトデザインをやっている人も登録しているし、
イラストレーターのサイトという傾向があったので
そこは変えていきたいなと思っています。

でも、「仕事ください」の形で見せると言うよりは、
自分が表現の1つの端的な例のものとして見せるという
スタンスは変わらないでしょうね。

ビジネスとして「私仕事できます」とか
「イラストを発注してください」、
「ウェブ作れます」、というよりは、
「どういう思いで作ったウェブです」とか、
「どういう思いで作ったものです」とか、
そういう伝えたいメッセージが伝わるサイトに
したいなって思っているので、嬉しいですね。
加茂 伝えるといえば、先日「ツタグラ」
(ツタグラ [伝わるINFOGRAPHICS]
 http://www.tsutagra.go.jp/
というプロジェクトを始められましたよね。
あれは伝える、ということを
形にしようと思って始められたんですか。
ツタグラはまたちょっと違っていて。
一昨年の東日本大震災が起こった時に、
それぞれがそれぞれのスタンスで、
一体自分に何ができるんだろうって
みんなが思ったと思うんですよね。
そこで、デザインに関わる人間が、
情報を伝える、分かりやすくするっていう意味で、
グラフィックの力って
すごく有効なんだなって再発見した時があって。

例えば、0.01マイクロシーベルトとか
数字が文章で書かれていても、
それが何とどれくらい違うものなのかとか、
どういう状況になっているのかとかわかりづらいんですけど、
実はグラフィックになってみると
一目瞭然だったりするんです。

だから、「難しい」、「こうしなければいけない」、
「勉強しなさい」というよりも、
もっとワクワクする形で人がいつも
社会課題に向き合っているとか、
理解が深まっているんだというプロセスも
大切なのかなと思ってツタグラをやっているんです。
加茂 伝える、という点でプロジェクトを始められたのは、
大学でジャーナリズムを専攻されていたことが
根っこにあるんですか。
そうだなー。深い質問ですね…

伝えるって、難しいんだよね。
分かりやすく、伝える力を強めようとすると、
端的に分かりやすくするというのが手法としてあるよね。
そうするとものすごく分かりやすくなるんだけど、
端的にしてそぎ落としている分、本当はあったものを
コンテクストとしてばさっと切り落としちゃう。

だからすごい伝わりやすいんだけど、
こんなに伝わりやすくしちゃっていいのか、
本当に伝えたいものが伝わっていないんじゃないか
っていう気持ちにもならない?
加茂 なりますね。
分かるまでの経緯を省いた分かりやすい説明をされると、
分かるけど記憶に残らず、
本当のことが分からないまま終わっちゃいます。
だから、ツタグラのプロジェクトを
原研哉さんと話しててすごく思ったのは、
クリエイティブの力で「伝えよう」とするのは初歩段階、
もちろんひとつのフェーズとしてあるんだけども、
それがもうひとつ違うフェーズになると、
「分かってないということを分からせる」にたどり着く。

原さんに
「もうちょっと分かってくると、分かってない、
ようは、分からなくさせるデザインってあるよね」
って言われて。

なるほど、
例えば生き方についての文章を書いていたとして、
最終的には「きっかけを大切に」みたいな
わかりやすい文にするじゃない。

あーそうなんだ、って読む人はなるけど、
本当の意味ってそんなに簡単に伝わるものじゃないから、
書き手としてはむしろ
クエスチョンマークにさせたほうがいいんじゃないの、
っていう疑問にまたぶつかる。分からなくさせる。
でも究極は原さんいわく、
「何も言わない」ことだという。
加茂 もう、考えてくださいという(笑)
そう。だから、
分からせる、分からなくさせる、何も言わない
っていうレイヤーがあって。原さんに
「このレイヤーで僕は何も言わないを目指したい」
って言われた時に、
「すいません、ツタグラはまだ伝えよう、伝えようとしてて…」
みたいな(笑)。

伝えようとする人間は、伝わったという喜びと、
伝えたために伝えられなかったってことと、
なんかね、そういうことと闘いながら生きていく
職種なんだろうなと思ったりして。
加茂 伝わりすぎるものって、
歩みを止めちゃう人を出す気がするんです。

例えばテレビで、
誰かが悪いことをしたぞって報道されるとき、
証拠も出るじゃないですか。
その時点でもう僕らの頭の中には
「この人は悪い人だ」という結論が出てしまうけど、
例えばAさんにとってはすごく良い人かもしれない。
そんな一面もあると思うんですけど、
伝わりやすい説明によって
本当のことを理解できる機会を逃しているんです。

ツタグラも、伝わりすぎるグラフィックが出てしまうと
その瞬間に「理解した、だからこれで終わり」
となってしまうかもしれないですね。
そうだよね。だから、伝えすぎちゃだめなんだよね。
3分で分からせてはダメ。
3分でますます分からなくなる本みたいな(笑)。
そういうほうがいい。

だから私、今度も講演があるんだけど、
やっぱり講演する時に人が、
分かりやすいメッセージをください、答えをください!
って期待がすごい高い。
その中で、いかに全く関係のないような、
だけど、じっくり考えてみるとそうだったのかもっていう、
そんなことを話したいと思っているんだけど、
それがあんまり度が過ぎると、
「わけわかんない」ってなっちゃうじゃない。

だからどのへんを落としどころにするのかっていうのに
挑戦しようと思っていて。
ウェブの人たちが集まる会なんだけど、
テーマは「革命を起こそう」にしようと思っていて(笑)。
革命からいかにウェブに近寄るかを今考えあぐねていて、
言い過ぎちゃうと面白くないから、
どこまで言おうかなという
なぞかけを今やろうとしています。
  (つづきます!)

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