フダンヅカイ
浦上満さんプロフィール
もくじ
はじめに 農家とプロデューサー
第一回 日本橋は古美術商のメッカ
第二回 ニセモノは売る人も悪いが、買う人もある程度悪い
第三回 自分が持つよりふさわしい人に売る
第四回 みんな、自分の好きなモノにお金を使えていない
第五回 古美術品は「買う才能」がある
第六回 100人来たら2、3人は興味を持ってくれる
第七回 数字とは少し離れた世界
第八回 北斎漫画にまつわるあれこれ(日本編)
第九回 北斎漫画にまつわるあれこれ(海外編)
第十回 儲ける以上に大切なこと

第一回 日本橋は古美術商のメッカ

加茂 今日はよろしくお願いします。
この浦上蒼穹堂はすでに30年以上経営されている…
ギャラリーといえばいいんでしょうか。
浦上 ギャラリーは絵画の場合が多いので、
我々は古美術店、美術店というのかな。
でもギャラリーと言うこともありますね。
加茂 では今日は「お店」と呼ばせていただきます。
今日ここまで向かう途中に
多くの古美術商を見かけたんですが、
浦上さんがこのお店を始められる時、
周りに他の古美術商はあったんですか。
浦上 もちろん。ここ日本橋は明治、大正くらいから
日本の骨董屋さんというか、古美術商のメッカですから。

僕は繭山龍泉堂という老舗で
5年間修行したのちに独立したんですが、
当時このお店が入っているビルは建ってなくて、
ここのすぐそばで6年くらい営業していました。
その後このビルに移転したんです。

本当は1階が良かったんだけど、結果として3階になりました。
でもこれくらいのスペースだと3階の方が落ち着くんですよ。
加茂 たしかにこの階だと落ち着いて見ることができますね。
1階だとお店の前を通る人の目が気になりそうですし。

浦上さんは独立される時、この日本橋にお店を出すことは
最初から考えられていたんですか。
浦上 そうですね。僕が修行した繭山龍泉堂は
大きな自前のビルを持っているところなんですけど、
基本的に美術商というのは、
大手といっても規模が小さいんです。
要するにインディビジュアルな商売なんですよ。

繭山龍泉堂も私がいたころは
男性だけでも10数名いたんですけど、
1人1人がなんとか商店、なんとか商店、と
お店を持っているようなものなんです。
普通の会社のように仕入れ部があって、
販売部があるというよりは、
1人の人が買ってきて、自分のお客さんに売る、
という傾向が強いですね。
加茂 ある意味で社員1人1人が独立していて、
自分たちが集めてきたものをお客さんに売ると。
浦上 そうです。
なので、少しご質問の主旨と回答がずれてしまったんですが、
やはりこの辺りでお店を出す、というのは考えていましたね。
ただ当時はバブル前だったので
空き室というか、店舗に使えるスペースというのは
非常に少なくて苦労したのを覚えています。
加茂 最初に激戦区にお店を出すというのは、
かなり大きな挑戦というイメージがあるんですが。
浦上 僕は幸い国宝や重要文化財も扱ったことのある
本当に良いお店で5年間修行させてもらったから、
非常に良いものをたくさん見て育ったんです。
なので、もちろん不安はありましたが
「お店をやるのはここだな」という気でいましたね。
浦上 骨董品は蕎麦猪口(そばちょこ)ぐらいから
入らなきゃダメだなんて人もいるんだけど、
大事なのは蕎麦猪口の次はこれ、次はこれと
ステップアップして一番すごいところにいくことじゃないんです。
やっぱり良いところから入れたら入るのに越したことはない。
で、勘違いをしてはいけないんですがそうしたら
一生蕎麦猪口と縁がないかというとそうではなくて、
ちゃんと良い蕎麦猪口も選べるんです。偉そうな意味ではなく。

なので僕が言いたいのは、
例えば場末から始めて最後の方で日本橋まで来たらあがり、
みたいなことではないんです。
激戦区じゃないところから入る意味は何もないですよね。
「この辺はほかに同業者がいないから始めましょう」
って言ったら誰も来ないですよ。
この日本橋~京橋という場所にお店を出すからこそ
「おお、新しい店ができたな」と入ってみたら
「ああ、このお店を出したのはあなたでしたか」となる。
加茂 たしかにおっしゃる通りですね。

ちなみに、厳しいお客さんのいる地域に
お店を出す決断ができた理由としては、
今おっしゃられていた良いお店で
修行したこともあると思うんですが、
浦上さんのお父さんがコレクターだったことも
影響しているんですか。
浦上 それもあるでしょうね。
父親がコレクターだったことの良さは、
小さい頃から良いものを見られた、
ということなんです。

修業時代、僕と同期でもう一人
繭山龍泉堂に入った人がいたんですが、
彼は普通の家庭で生まれ育ったので、
一切美術品と縁がなかった。
なので入った当初は本当にもう、
右も左もわからない状態でした。

僕ももちろんわからないことだらけだったけど、
親父がコレクターだったから、
モノには接していたのでスッとこの世界に入れました。
当時のことを考えると、小さいころにモノを見ることに
親しんでいたことは大きかったですね。
同期の彼も、その後大変目が利く人になるんですけど。
加茂 美術品を売る時に難しそうだなと思うのが、
自分が良いと思って仕入れるものと、
お客さんが「これが欲しい」と思うものを
うまくマッチングさせることで。
お客さんが見つけてくれるまでも
結構大変な作業があるんじゃないかな、
と思うときがあるんですが。
浦上 おっしゃるとおりでいいところを突かれたんですけど、
美術品というのはものすごく多岐にわたるんです。

僕の専門は鑑賞陶器とか、鑑賞陶磁と言われる分野です。
これはファインアートを訳したというか、
あまり馴染みのない言葉で、要するに見て美しいとか、
力強いやきもの...というんでしょうか。
それに比べてわかりやすいのは茶道具とか、仏教美術とか。
これはかなりクリアに分かる分野です。
なので古美術と一言で言ってもたくさんの分野があって、
「何でも分かりますよ」と言う骨董品屋さんや古美術商がいたら
「あ、この人はきっと何も分からないんだな」
ということに通じるんです。それくらい専門が分かれている。
浦上 なので、先ほどいただいたご質問への回答としては、
実はお客さんに合わせるとダメなんです。
目の高いお客さんに合わせることは大事なんですが、
ちょっと生意気な言い方だけど、
自分の好みが好きなお客さんが集まってくるのがベストです。

自分ももちろん目を鍛えていろいろと勉強して、
自分の専門、ラインをしっかりと持つ。
そうすると「あ、あそこは良いものがあるな」
「自分好みのモノがあるな」と徐々に人が来てくれて、
非常に目の高い人たちが
「いやぁ、君は若いけど良いものを扱うね」と、
実際に口には出されないですが、
そういう反応をいただけるようになります。
加茂 たぶん「君のはいいね」というのは、
お客さんがもう一度来てくれることなんでしょうね。
浦上 そう。あとは実際に商品を買っていただくことですね。

(つづきます!)

まえへ 最新の更新へ つぎへ