フダンヅカイ
林千晶さんのプロフィールはこちら
もくじ
はじめに 元気のもと
第1回 量が質を生む
第2回 なんでこれをやろうと思ったの?
第3回 日本で閉じている必要がない
第4回 私がいちばん楽しんでる
第5回 クリエイティブ・コモンズ
第6回 イノベーションをどう作っていくか
第7回 早く利益を出さなきゃいけない
第8回 結びついた時のワクワク度

第2回 なんでこれをやろうと思ったの?

加茂 林さんのブログ、いつも拝見しているんですが、
この前クリエイティブ・コモンズのアジア責任者を降りた
という話がありましたよね。
(編集部注:これまで務めていたアジア地域責任者を辞め、
2012年からは文化担当として
限定的なテーマに関わることになったという意味)

ブログで辞めた経緯を拝見して、
常に答えの出ない課題に挑戦して、
どうすればいいのかを考え続けていて、
すごいなと思ったんです。

僕がやっているフダンヅカイは
答えは出なくていいんじゃないっていうのが
コンセプトの1つにあって、でも考えることはやめないで…
というのをやっていきたいんです。
なので、林さんの仕事に対する姿勢に
すごく刺激を受けています。
フダンヅカイっていうものに
込められている思いはどういったものなんですか。
加茂 いつもの言葉でいろんなことを説明できると思っているんです。
無理のない普段通りの言葉で話をしたら、
みんなと同じレベルで、同じテーマを
一緒に考えられるんじゃないかって思っていて。
なんでこれをやろうと思ったの。
加茂 単純に、ネットにあるメディアが
つまらなかったからなんです。
伝わりすぎて本当のことがわかりづらくなっていたり、
煽りのタイトルをつけて読ませようとしていたり。
周りを見渡してみたらそんなメディアばかりだったので
「じゃあ逆のサイトもあっていいんじゃない」って思って。

あと、人の考えは常に変わるっていうのが僕の中の意見で、
昨日と今日で意見が違ったとしても、
それはそれそれでいいじゃんって場にしたいという
目標もあります。

それができるかもしれないと思ったのは、
このサイトの第一弾に出てくれた中村さんとおはなししたときで、
雑多と多様の違いについて話をしたんです。
そのとき僕は「雑多は空気感で、多様はデータなんじゃないか」
という意見を中村さんにぶつけたんです。
そうしたら中村さんは、

『砂鉄をぽーんとばらまいたら、
ばーっとなるじゃないですか。
それが雑多なんですよ。

で、そこに、S極とN極を近づけると地場が発生して、
何かしら、みんなちぐはぐの方向を向いているんだけど、
なんとなく方向づくというか。
その状態が多様だなと思っていて』

と返してきたんです。

正直、辞書を引けば終わりっていう話なんですけど、
これはおもしろくて、可能性を感じました。
なるほどね。雑多と多様ね。
かずえちゃんだったらどう?
中田一会
(以下、中田)
え、私ですか(笑)。
どう思うかなって。彼女言葉のプロなので。
実は私、彼女と一緒に仕事をしていて、
私よりも私なんじゃないかって思って。
マスターオブ林(笑)。
中田 社内でも、Siriと呼ばれています(笑)。
「私ってこの時嬉しかったかな?」って言った時、
「嬉しかったです!」って言うくらい(笑)。
私のオリジンがここにあったりして。
言葉の魔術師なので、どう思うかなって。

結構いい言葉だね。雑多と多様って。
私ね、雑多はね、1個ずつが周りを知らない状態、
多様は、バラバラなんだけど、
お互いが多様にあることを認識しあっている状態。

例えば渋谷だとさ、雑多じゃん。
こういう人もいる、ああいう人もいるって
意識していないでただただ複雑にある。
だから他の存在が意識されていない状態。
そして多様は瞬間的に
「ここからここの50人止まってください!」と集めて、
何に興味があるか、ああこういう人いるなとか、
お互いのことがある程度分かっている状態が多様な気がするなあ。
加茂 中田さんはどうでしょう。
中田 そうですね。
多様だと1個1個の様相が違う。テクスチャーが違う。
別の方向に違うという、正しいかは別としてありますね。

で、雑多はその混ざり具合。
テクスチャーの問題じゃなくて、粒の大きさくらいの問題で、
揃ってないよねなんとなくっていう、神様の視点ですけど(笑)。
見える感じですかね。
多様は、見えざる力で全員が違う。
これくらい解釈が違って、
でも言わんとする事も分かる気がする。
加茂 こんな感じで、フダンヅカイでは
その人の普段言っている言葉が
そのまま出せればいいなと思ってやっているんです。

どうしてもインタビューとかになると、
決まりきった感じのことをやってしまうことがあるので、
脱線したらそのままいっちゃって、
予定にないことも言ってしまってもいいや、
その中で上手く編集できればいいやっていう。
そうしたほうがその人が持っている
本当の言葉が出てくるんじゃないかなって。

決まりきった質問の答えって、変わらないですよ。
例えば林さんに「ロフトワークの歴史について教えてください」
という質問をしたら、必ず同じ答え方をすると思うんです。
なぜかというと、何度も言って覚えてしまっているからで。
私さ、それでいつも思うのが、車掌さん。
加茂 あー(笑)
車掌さんってさ、いつもさ、「次は渋谷~」って。
あれって日本全国どこに行っても駅名は違うけど、
言い方って全く一緒じゃん。
何回も何回も言った時に、
あのリズムが自然に生まれるんだと思うの。

で、それをね、もし私たちが車掌になって、
「ツギハー、シブヤ、シブヤ」って(笑)
一同 (笑)
そうやって言ったら、人は、ぎょぎょっとなる。
初めて「千晶さん、『次は神泉(しんせん)』って言って」
って言われて、アナウンスの仕方とかなにも知らずに、
「つぎはぁ~、しん、せん」って(笑)。
一同 (笑)
その、1回限り感と、繰り返し感って、
なんかトーンが変わるよね。
そうしたらフレッシュで、毎日みんなが、
いろんな人が言ったらどうなるんだろうって。
神泉で降りるときも、「ツギハァ、シンスェン」って
外人の人が言った時に、わお~、みたいに思いながら降りる、
そういうなんか、ナレーションについていつも考えるの。

あれ、フダンヅカイがハックしてみたら?
加茂 はは(笑)。
でもあのアナウンスって、
いつも同じ波長で来るのでBGMみたいになっちゃって、
普段電車に乗っている時には
意識して聞かないと耳に入っているのに聞こえない、
みたいな状態になりますよね。

そこで僕が「次は、渋谷…でしたっけ?」と
慣れない口調で言ったのが社内に流れたら、
たぶん間違いなく「そうか、次は渋谷なのか」
ってなるじゃないですか。

フダンヅカイでやりたいのって、
いま林さんが言ってくれたことにすごく近いと思います。
こうやっておはなしをしていると、
他のメディアとは全然違うことが聞けるので。
メディア風に整えられちゃって、
逆にさらっと読まれるんじゃなくて、
なんかその、素人の人が、さも今話しちゃってます、みたいな、
なんか往来の人たちの言っているような、不安な感じ。
読み手を不安にさせるくらいの普段の言葉だといいよね。

(つづきます!)

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